【主夫への道のり】設計事務所勤務から主夫へ その2
帰宅してから・・・
スマホの電源を入れると色々な人からの着信・メール・LINEの数々。
たくさんの人に心配をかけていた事を知り、最初に連絡したのはもちろん妻でした。
自宅へ帰ると涙で目を腫らした妻が出迎えてくれました。
何かあったら・・・って時の為にしばらく仕事を休んでいて、この日は市内まで僕のことを探しに行こうとしていました。
出ていった事を謝って何気ない会話をして穏やかな時間を過ごしていると、妻が僕の会社の事や社長が家に来て謝罪をしに来た事について話しはじめたその瞬間、全身がガタガタと痙攣をおこしたのです。
妻がいうには5分くらい続いたそうで、自分では一瞬の出来事のように感じられました。
初めての経験に戸惑う
痙攣はおさまったものの手のひらから指先にかけての小さな痙攣はおさまらず、自分の体が強張っている事に気づき急激にしんどくなっていって、食欲もなく気力もないのがはっきりとわかるくらい体がダメージを受けていました。
子供たちは保育園に行っていたので夕方に妻がお迎えに行き、しばらくして帰ってくるととても喜んでくれて、僕も平静を装い久しぶりの一家団らんの時間を楽しく過ごしました。
そして夜寝る時間が来たので皆で一緒に寝たのですが、僕はまったく寝られず布団から出てリビングで横になり、ようやく朝方に少し寝られたくらいでしょうか。
徹夜に近い状態で朝を迎えてもとくに眠い事はなく、ただただゆっくりした時間を妻と過ごしました。
ちょうどその頃、ある女性議員が秘書に暴言を吐いたりというパワハラ行為が世間を賑わせていて、たまたまテレビのニュースで見た僕は急に頭痛を起こし痙攣しうずくまったのです。
買い物に出かけていた妻が帰ってきた時に、僕がそんな状態だったので慌ててテレビを消して僕を抱えて落ち着かせてくれました。
やはり僕の状態はおもわしくなく、精神科に通院することになりました。
通院 外出をするようになる
妻の付き添いで精神科の受診、夜寝られず昼寝をしようとして一度横になると、寝ていなにのに3時間くらい起き上がれなくなるほど体も心もボロボロになっている状態を先生に伝えると、自律神経失調症ですとの診断を受け睡眠薬と精神安定の漢方薬を処方してもらい毎日飲むことになりました。
そこからしばらく月2回の受診を続けていくことになり、ひと月ほど経過してから一人で電車通いをすることに。
電車内の空間が最初は苦痛で音楽を聞きながら周りの音を遮り、何か変な目で見られてるような感覚があったので帽子を深めに被り、出来るだけ動かないようにしました。
しばらく通っているうちに外出にも慣れてきて、通院以外でも外出をするようになり保育園のお迎えも行くことになると、子供たちが喜んで駆け寄ってきてくれることがとても楽しくなり、心が晴れやかになっていくのがわかりました。
睡眠薬と精神安定剤のおかげか、夜も少しずつ寝られるようになりライフサイクルが戻りつつあるとき、近所の知り合いの人から仕事を手伝ってくれないかとの連絡があり事務所へ伺うことに。
週2の仕事と試験勉強
その知り合いの人は失踪したことを知っていて、約5年前から図面作成の手伝いをしている人で、僕と同じような状態の友人を亡くした経験を持っている人で、一緒に働く事になる設計事務所の所長です。
この時点ではまだ完全な社会復帰はムリだったので、週2だけ働かせてもらえるようになりました。
当時僕は一級建築士の製図試験前でした。
前年に学科は合格して製図が不合格だったので引き続き資格学校で製図の勉強をしていましたが、一時休校しており勉強を続けるか悩んでいたり今後の仕事をどうするかも考えていました。
そこに仕事を手伝ってほしいとの連絡があったこと、資格はやっぱり取りたい思いがあったので、日曜日に行っていた学校を水曜日に変更し月曜日と木曜日を仕事、それ以外の曜日は勉強したり家で過ごしたりって感じのライフサイクルになったのです。
そのうち外出にも仕事にも慣れてきて家事全般も少しずつするようになり、その時点ではまだ主夫って感覚はなかったですが毎日楽しい日々でした。
手伝いから正社員 試験合格まで
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
次回は製図試験や社会復帰について書こうと思います。
じょにお
【主夫への道のり】設計事務所勤務から主夫へ その1
建築・開発 半端ないプレッシャーの世界
じょにおです。
みなさん、いろいろな思いで仕事をしているんじゃないでしょうか。
楽しい・ツライ・しんどい・やる気マンマン・おもしろいなど。
僕は建築業界で直近の約11年間で2つの会社に勤めました。
1つめは建築設計事務所で、CADもほぼ触った事がない初心者の僕を雇ってくれました。
建築設計事務所といっても僕が携わっていた事は開発図面の作成や申請、それに伴う行政との協議でした。
開発というのは土木系で、下水の流量計算をしてどれくらいの土管が必要で、どれくらいのマンホールが必要なのか計算して図面を作成したり、道路の幅はどれくらい必要でどのような断面の道路にしてどれくらいの距離が必要かとか。
盛土や切土がどれくらい必要なのか、擁壁はどのくらいの規模の物がいるのかなどの造成図面もたくさん書きました。
申請や協議先は市役所・府庁・県庁・土木事務所等で、図面や書類を作成して申請図書として提出し協議をする。
協議をするといっても協議先は一つの市で10課以上の時もありましたが、じっくり協議をするのはだいたい4~5課程度といったところ。
ただ同じ市役所内にそれぞれの課があればいいのに、市によっては車で移動しないといけなかったり、それを往復することもありました。
段取りよく準備しておけばいいのですが、突発的な事があったりでとても大変でしたが仕事自体は好きでした。
しんどい事もたくさんありました。
中でも一番は社長の瞬間湯沸かし器的にものすごい口の悪さで怒ってくることで、この人以上に口悪い人はいないんじゃないかってくらいな人でした。
一度怒るとあっという間に1時間くらい経過するし、途中から何に対して怒られてるのかわからなくなくらい過去の事まで引っ張り出してきて怒ります。
今思えばそれだけ言ってくれてたのは仕事に対して真剣で全力で取り組んでいたからやと思うし、色々な取引先とのやり取りもあったからやと思います。
心身がやばい
そんな僕が会社を辞めたのは2017年6月のことで、まったく円満ではない辞め方になりました。
ある日の夕方に取引先との打ち合わせから帰ってきたら社長が待っていて、顔を見ると明らかに怒っていたのです。
少ししてから話が始まりだんだんと怒り間もなく本気モードになっていき、その時の僕の精神状態は怒りはじめた時からパンク寸前になっていました。
というのもそれまでの一週間ほど毎日怒られていたので毎日が辛く精神的に疲労困憊になっていました。
とくにしんどかった出来事は、事務所で小一時間怒られたあとの後輩と3人で昼ごはんに、近くのカレー屋さんにいくことになり歩いていったのですが、店まで10分くらいずっと怒られ罵られたまま店に着きカレーを食べたけど味がしない。
以前にはじめて食べた時は美味しかったのに、まったく味がしないくらい心が参っていました。
帰りもずっと怒られ、行きつけの喫茶店にいってもずっと怒られ・・・っていう事があり、そして・・・。
精神崩壊 失踪
話はある日の夕方に戻りまして、その時も2時間くらいは怒られたでしょうか。
その時に言われたある言葉で僕の精神は飛んでいってしまったのです。
「お前は人間失格じゃ!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の心は崩壊して頭には人間失格という言葉だけが残り、その後に言われた事はまったく耳に入ってこず、ただひたすら怒られる時間がすぎるのを待ちました。
しばらくして怒られ終わり社長が帰り、後輩が帰り一人になった僕は自殺サイトを調べはじめたのです。
でもそこに書いていたのは自殺をすると皆が悲しむなど、自殺を止める事が書いてありたくさん読みました。
でもすでに精神崩壊状態だったので、
「人間失格となりました、人間に戻ることが出来たら帰ります」
と、奥さんに連絡を入れてスマホの電源を切り出ていきました。
出ていったといっても行くあてはないので、とりあえず電車で大阪市内へ移動してひたすら歩いてどうしようか考え、ネットカフェで泊まったりマクドナルドで夜を明かしたり道端で寝たり。
仕事の事は頭の中から消していたのですごく楽しかったのを覚えています。
そして5日経過した日の朝にネットカフェでメールを見ていたら、嫁から子供たちの動画が送られているのに気づき、その動画を見た瞬間に家へ帰る事にしたのです。
その後・・・
帰宅後、崩壊した精神により自身がどのような状態になったのか、復帰までの道のりはどうだったのか。
その後については次回以降で記事にします。
ここまでありがとうございました。
じょにお